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 『学習、子育て、人生 全て過程が大切です』
                 コトノハ寄稿文より〜
 





◆教育への思い◆


「塾 の先生をしていて、本当によかったな。」

そう思うことが、年に何回かあります。
静寂の中、 生徒たちが「あ!」と一瞬動きを止め、
しばらくすると目をキラキラさせて、一気に問題をダーッと解いていく姿。


「あ あでもない、こうでもない」と問題を一生懸命考えている姿。
そんな場面に立ち会えると、いじらしささえ感じる嬉しさがこみ上げてきま す。
子供の成長を実感できる瞬間です。




さて、最初に私のことを少しお 話させて頂こうと思います。

私自身は、平成18年の8月に
それまで8年間勤めていた塾業界から身を引きました。

勤 めていた大手の塾は全国展開をしており、
私はそこの個別指導のある教室の責任者でした。

教室は岡山の中心街からは程遠い場所にありな がら、
1日に多い時には180名の生徒たちと30人以上の先生たちが出入りするような、
岡山県でも有数の大所帯の教室の成長しました。



私 個人としては、責任者になったことで直接生徒の教科指導をすることは減りましたが、
その分生徒たちとのカウンセリングに使う時間が増えましたし、
親御さん たちとお話する時間もできました。


また、大学生を中心とした先生方とのやり取りができる時間も増えました。
今 思えば、本当に楽しい時間でした。


一方で、長期休み前になると、大半の塾で『講習会を売 る』という業務が始まります。
生徒主体の講習会なのか、それとも会社主体の講習会なのかという視点で見ると、
大手は残念ながら後者で す。



もちろん、善意で講習会をされている塾も沢山あるとは思います。
しかし、大手塾は社員 のボーナスを捻出しなければなりません。
子供の成長よりも、会社の存続。
勿論、理解はできますが、教育としては 動機を完全に誤っているように思えました。


塾で働くお一人おひとりは本当に良い方が多いです。
生 徒の成長を何よりも楽しみにされていて、
教育という仕事に生きがいを感じておられる方たち。

学校の管理教育に行き詰まりを感じている から、塾で伸び伸びと教えたい、
そんな純粋な気持ちを持っておられる方が大半でした。


しかし、それが組織とな り、会社となったとき
に存続が第一目標になり、安定成長が求められます。
存続自体は大切なことです。
しかし、私の求める教育はありませんでした。

で すので、大変悩みましたが、その塾を辞めました。

ある日、そのことを子供たちに伝えていくと、
泣きながら教室を 出て行く子が何人かいました。

そこまで慕ってくれている嬉しさと、もう何もできないことの寂しさとで複雑な気持ちでした。


し かし、退職後2年ほど経ち、縁あって去年、今の教室の立ち上げを任されるようになりました。
『個別指導のフイユ』(現在は『どんぐり 個別指導学院』です)です。

そこでは、どんぐり倶楽部の思想に賛同して、
子供たちの成長を大切にする教育を心掛けています。






◆ 愛情を求めている子供たち◆


塾で子供たちに接していると、子供たちは色々な話をしてくれるようになります。
そうすると、彼ら、彼女らは少しずつ心の闇を共有させ てくれるようになります。

以前勤めていた塾に、夜の10時を過ぎても自習室から帰らない中2の女の子がいまし た。
「お〜い! そろそろ帰ろうや〜!」
と声をかけると、
「うん・・・」
と は言うものの、ぽつりと
「家に帰っても、誰もおらんしなぁ・・・」
と寂しそうに呟いたりします。聞くと、お母さ んは夜勤で遅くまで帰らないとのこと。


日本には古来より「察する文化」がありました。
「あ えて『あなたは大事』とは直接言わないけれど、
きっと分かってくれているだろう」という文化です。

お父さん、お母さんがこれだけ一生懸命、家族のため、子 供たちのために働いているのだから、
子供もその苦労くらいは理解してくれているだろう、寂しさも我慢してくれるだろう、
と考えておられる方も多いと聞きま す。


しかし、よく考えてみると親が苦労している姿も何も見せないで、
「理解だけしてく れ!」
なんて、子供にとっても無茶な話です。

昔の人は確かに、自分の子供には直接「あなた は大事だからね」ということを
言わなかったかもしれませんが、それを間接的に伝える機会が沢山あったのだと思います。


例 えば、お墓参り。
お墓の掃除やお花やお線香をあげて、親が、
「ご先祖の皆さん、今までどうもありがとうございま す。
これからも、子供たちが健康に育ちますよう、見守ってやってください。」
と家族の前で言うこと。

例 えば、お宮参り。初詣。
よそ行きの服を着て神社に行き、境内で、
「この子がここまで無事に成長できました。あり がとうございます。
また、来年もお礼参りに来られますよう、宜しくお願い致します。」
などと言葉にすること。

子 供の日に菖蒲湯を準備することも、
お正月に真新しい下着を準備することも、
もちろん、そんな特別な時ばかりでは なく、
毎日のご飯を準備すること、
お風呂を沸かすこと、
洗濯をすること、
や ぶれた服を繕ってやること等、
そういう手間暇(てまひま)、つまり、

「お父さん、お母さんが、わざわざ自分のた めにやってくれたんだ」

ということが、子供たちにとって親の愛情が確認できる場所だったと思うのです。


今 は、そういう手間暇は、殆ど機械でやってしまいます。
スイッチ1つでお風呂。
ボタン1つで洗濯、乾燥。
ご飯も、無洗米にお水を入れて、スイッチポンで炊き上がる。
おかずは「チン」して出来上がり。
やぶれた服も繕う 手間を考えると買った方が良い。

そうなると、子供たちには、
「お母さんがわざわざやってく れている」とか、
「自分のことを考えてくれている」という感覚が育ちにくいのではないかと思います。

つ まり、そういう「手間暇」にこそ、思いが込められるのだと思うのです。

前出の「10時を過ぎても帰らない女の子」のお母さんともお話をする機会がありました。
そのときに、私は1つの提案をしました。それ は、
「メモで良いので、この子に何か手紙を書いてもらえませんか。」
という些細なことでした。

次 の日、その子が嬉しそうに塾にやってきて、
少し照れたような顔で1枚のメモを見せてくれました。
そこにはこうありました。


「A へ。
今までちゃんと話もせずにごめんね。Aの寂しさを分かってあげられなくてごめんね。
でも、お母さんが大変な のはわかっているよね。
できるだけAも、自分のことは自分でしてくれるたら、お母さんも嬉しいです。
このあいだ 作ってくれたハンバーク、おいしかったよ。
またお花見に2人で行こうね。
お母さんもがんばるから、Aもがんばっ てね。」



このメモはAちゃんにとって宝物になりました。
Aちゃんの成 績が伸び始めたのは言うまでもありません。
英語はいつも30点台だったのに、初めて70点台を取るようになったのです。


子 供は常に、親からの愛情を今か今かと待っています。
ですから、親が向けてくれた愛情が、純粋に子供に向けられたものなのか、
それと も、自分を通して、親自身に向けられたものなのか、その辺りを鋭く見抜きます。

実父母でない方もいらっしゃるか もしれません。
しかし、実父母でなくても、
子供が求める100%の愛情でなくても、関係ありません。

1% でも良い。
子供は本物の愛情を求めています。
生身の人間には、生身の愛情が必要なのです。
そ んなことを塾の現場で感じてきました。






◆親の心が変わること◆


子 供の成績を上げるために、今一番必要なことは、
実は親御さんの心が変わることだと、私は思っています。
親の価値観が変わることです。
視点や信念を変えると 言っても良いかもしれません。


勤めていた塾でどうしても越えられなかった壁。
それは、親御 さんの心に訴えかけることでした。
塾ではそこまで踏み込めないのです。


親 が子供に無関心になることは、子供を卑屈にしてしまいますし、
過保護は、子供を無機質な心にしてしまいます。
良 かれと思って子供にしていることが、
実は子供の生きる力、考える力を奪い去っていることが多い。
場合によっては 取り返しのつかないことにもなってしまう。
そんな悲しい場面も沢山見てきました。



中 学受験をするからと、子供に勉強部屋を与えるために、
お父さんもお母さんも一生懸命働いて、新しくて広いマンションに引っ越した。
そ の時点では夢がいっぱいの筈だったと思います。

しかし、ローンを返すためにと、ご両親ともに毎晩遅くまで働い て、
以前のように子供と心を通わすことが減ってしまった。
その結果、子供が、
「僕なんか、 いなくてもいい」
「僕のせいで、お母さんもお父さんも苦労して働いているんだ。」
という寂しさや自己嫌悪に耐えきれずに、部屋で自殺をしてしまった。
そんな話もありました。


また2006年、当時高1で医学部志望だった子が、家族を殺して家に放火をした事件がありました。

怒りの矛先はいつも自分を苦しめた父親に向かず、弱者であった母や妹に向かいました。

 

考えるべきことは、これらのご家族は

「子供部屋を与えること」

「医者になるために様々な環境を整えてやること」

など、つまり「モノをそろえてやること」を

「良かれ」と思ってしていたということです。

誰もが、子供の将来のためにと真剣に思ってしています。であれば、

「なぜこのような結果になってしまったのか」

ということを、私たちは自分のこととして考えていく必要があると思うのです。

 




◆考え方を奪う安易な学習法◆

 

「良かれ」と思って親が子供に与えることの1つに、考えることを奪う学習法があります。

 

子供の成績を上げること。

それ自体は、そんなに難しいことではありません。

元々何もしていなかった子が、先生と気が合って少し勉強するようになれば、

極端な話、どんな勉強法でも『成績』は必ず上がります。

百ます計算や公文式のようなトレーニング方式だと、安易な達成感も手伝って、

目に見えて成績が上がっていくこともあるでしょう。

しかし、安易さには安易さの限界が必ずあります。

事実として、私の担当していた教室にも、小4くらいの生徒沢山、公文をやめてきていました。

そして、お母さん方は、異口同音にこうおっしゃいます。

「計算は速いのですが、文章問題をすごく嫌がるのです。」

 

この言葉は、そのまま、「じっくりと考える力を養えていませんでした」

という意味になります。

そうなると、実は算数だけの問題ではありません。

生活自体にも影響が出始めてきます。

ちょっと考え(るふりをし)て、答えが出ないと「ウザイ」「ダルイ」と問題を考え続けられない。

頭をかきむしる。

鉛筆を噛む。

消しゴムに鉛筆の芯を刺す。

消しゴムをちぎる。

貧乏ゆすりをする。

「わからん!」と言いながら、プリントを投げ捨てる。

ちょっとのことで非常に攻撃的になる子など、色々なパターンを見てきました。

 

 

ある日、公文の英語で高1レベルをしているという小6の子が、

入塾体験にやってきたことがあります。

「へぇ〜! すごいね!

じゃあ、こんな日本語もすぐ英語になるんじゃない?

これは中3くらいのレベルだから。」

と、英作文を2題出してみました。

 

・彼は将来医者になりたいと思っています。

・これは、彼女がずっと欲しがっている車です。

 

これだけの文章でもチェックできることはかなりあります。

・代名詞がきちんと使えるか

・3単元のSを理解しているか

be動詞を忘れずに書けるか

aを忘れないか

doctordocterと書いたりしないか

in the futureという重要な熟語は使えるか

・関係代名詞はどうか

・現在完了の概念は理解できているか

などなど

 

結果、どうだったか。

彼は「He」と書いたきり、動きませんでした。

お母さんも少しバツが悪そうでした。そして、彼はこう言い放ちました。

「こんな問題、知らんし!」

 

そう、もし彼が

「この問題は分からない」

と言うのであれば、まだその場の救いはあったかもしれません。

しかし、「知らない」から「できない」であれば、彼は考え方を教わっていないことになります。

もっと恐ろしいのは、彼が「できる自分」にアイデンティティを求めていた場合です。

 

彼は結局、私の勤めていた塾には入会しませんでした。

「できなかった自分」を認めたくなかったのかもしれません。

私も、もう少し穏やかなやり方を選べば良かったのかもしれません。

しかし、プライドをはき違えている彼には、ある種のショックが必要なのだと思います。

 

前に公文をやっていたという生徒がいて、その子に英語のプリントを見せてもらいましたが、

プリントの中で、前に出てきた単語をそのまま次のカッコの中に入れればいいような問題も多く、

英文や日本語の文が理解できているかどうかは、

そのプリントだけでは分からないのではないかと私は思います。

それ以降、公文で英語をやっていた、と言う子には、その話は聞かなかったことにして、

基礎からさせていくようにしました。

 

英語を学ぶ目的は、英語で自分の考えが言えたり、書けたりするようになること。

そして、英語で言われたり書かれたりした相手の考えを理解することです。

カッコを埋めるのがいくら上手で速くても、意味がないのです。

 




◆どんぐりに出会い、急にやってきた「そのとき」◆

 

 

『どんぐり倶楽部』に出会ったのは、

現在の塾(元フイユ、現在はどんぐり個別指導学院)で使う教材を

インターネットで調べているときでした。

たしか、百ます計算について書かれてあった、

こだま塾のこだま先生のコメントだったように思います。

それから、こだま先生のサイトにお邪魔し、ブログも読ませて頂きました。

非常に得心しました。

そして、本家、どんぐり倶楽部のサイトにもお邪魔して、膨大な過去ログを読破しました。

1週間かかりました。

とても長い道のりでした。(笑)

 

私も失礼ながら、最初からどんぐり倶楽部の良質の算数問題を

「こんなに素晴らしいものだ」

とは思っていませんでした。

しかし、「そのとき」は、急にやってきました。

 

塾でおあずかりしている小2の女の子。

仮にマキちゃんとしておきます。

マキちゃんは、なかなか机の前に座って勉強しない女の子でした。

最初、どんぐり倶楽部の問題を見せても、開口一番、

「なぁ、センセ、これって、足し算? 引き算?」

でした。私は、笑顔で、

「ふふふ」

とだけ答えておきました。(笑)

 

そうこうしているうちに、教室を歩き回って、ホワイトボードに落書きをして、

一通り気が済んだら、また問題をやり始める。

問題をやるといっても、最初は絵だけを描いて、半分遊んでいるような時間でした。

 

 

そんなある日、いつものように何枚かあるプリントの中から、

マキちゃんが適当に3枚ほどを「これやる〜!」と選んでやりはじめました。

塾に来出して3ヶ月目位だったでしょうか。

そろそろ私が

「絵だけで良いからね〜。式は書かなくても良いからね〜。」

と言わなくても絵を描き始める頃だったと思います。

 

いつものようにお絵かきをしていたマキちゃんが、キョトンとした顔で私の方を見ていました。

「どうしたの?」と言うと

「あれ? 問題が解けちゃた?」というのです。

そう、マキちゃんは、文章を読んで絵に描いて、

それを操作していたら問題の答えが出てしまったようです。

 

「結構簡単なんだね〜!」

得意顔のマキちゃん。学校の算数の時間は頭が痛くなる、と言っていた子です。

私も笑顔で応えました。

「そうでしょ〜!」

 

だからと言って、その後もマキちゃんは、大して以前と変わるものでもなく、

塾に来てもプリントの絵を描いたりするだけの日もありましたし、

答えまでたどり着く日もあったりでした。

ただ、明らかに変わったなと思ったのは、

前よりも「わからん、わからん」とか、「答えは?」とか、そういうことを言わなくなったことです。

 

しかし、その後のマキちゃんは急速に変化を見せ始めました。

庭に蒔いていたヒマワリの種が、ある日急に芽を出していた、そんな気がしました。

 

そのときの問題はこんな感じです。

 

『お日さまとカミナリさまがかけっこをしています。

お日さまが地球を1周する間に、カミナリさまは地球を6周することができます。

では、お日さまが地球を3周している間に、カミナリさまは地球を何周できるかな?』

 

「う〜ん、お日さまって、どんな感じで描こうかな?」

そして絵を描き終えると数を数え始め、「18周!」と答えまで出しました。

そこから急に、マキちゃんが天才になっていきました。

 

「あっ、センセ! これって、6+6+6のことでしょ?」

「うわぁ〜! マキちゃん、スゴイね! そうそう、式にするとそういうことになるよね!」

「それでね、センセ。マキね、6+6+6の簡単なやり方、分かっちゃった!」

「え?! どうやるの? センセにも教えて!」

「いいよぉ〜!(笑) 

あのね、最初に6を5と1に分けるの。

そしたら、5が3つになって、5と5で10で、もう1つ5を足して15でしょ?

で、あと1が3つあるから3で、15と3を足したら、18ぃ〜!!」

 

いきなりのマキちゃんの流暢な説明に、私は感動してしまいました。

「うわぁ〜! マキちゃん、天才っ!!(笑)

へぇ〜! センセ、感動したよ!」

 

マキちゃんも単に答えを出したことを褒めてもらいたいわけではないでしょう。

あれこれと工夫した考えを聞いてもらいたかったに違いありません。

そして、それを考えているときは、マキちゃんもきっと楽しくて仕方なかった筈です。

 

この時点のマキちゃんは掛け算を習う前でした。

今は掛け算を習った後ですので、もう一度解かせてみても良いかもしれませんね。

 

◆人生の過程を楽しむ◆

 

 

答えを出すことよりも、工夫する過程を楽しむこと。

 

『答えが大事なのではなくて、過程が大事。

わからないときに試行錯誤することや工夫することによって思考回路が増えている。

だから、答えが出ても出なくても、工夫し続けることに意味がある。

そして何より「楽しく」工夫することが大事。』

これは人生の指針そのものです。

 

分からないときは、試行錯誤することこそが大切です。

マニュアルは、「正解」を教えてはくれません。

何より、マニュアルは「察する」「感じる」という一番大切なことを奪っていきます。

 

ですから、ハンバーガー屋さんで、

「お客様、おひとりですか?」

「はい。」

「ご注文をどうぞ。」

「ハンバーガー30個お願いします。」

「はい、こちらでお召し上がりですか?」

などという笑い話もできます。

 

世の中にはマニュアルにないことの方が、圧倒的に多い。

ですから、何かあったら、その都度マニュアルを探すのではなくて、

「なぜ」を深めていくことで、本質を見つけていくこと。

もちろん、本質は1つではないかもしれませんし、

本質の奥に、さらに本質があるのかもしれません。

 

人生を上手に生きようとするならば、「結果に執着しないこと」だと思います。

人生そのものが、創造のプロセスの連続だからです。

 

例えば、焼き物の作家さんは、「高く売れるものを作ろう」として、お皿や鉢を作るでしょうか。

中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんが、

大方の人は作品を作ることに一心不乱で打ち込むと思います。

その作品に思いと技術の全てを込める。

その作業がたまらなく素晴らしい時間であるでしょうし、

その思いをお客さんは対価として買っていくわけです。

 

料理人もそうでしょう。

値段の高い料理を食べさせたい、という思いではなくて、

素材をどう料理すれば一番美味しく食べられるかに一番時間を使うのだと思います。

そして、そんな料理を考えている時間がとても楽しい。

そうやって作られた料理が美味しいのは当たり前です。

 

好きな人とのデートプランを考えているときも、

遠足の準備をあれこれしているときも、

音楽を演奏したり、聴いたりしているときも、

それらが「終わること=結果」を目標にしているわけではありません。

 

美味しい料理も、完食が目的だと実に味気ないものになりますよね?

これだと、いつも残り物を食べているのと変わりませんからね。(笑)

 

つまり、私たちが楽しんでいるのは、常に試行錯誤する過程だということです。

 

「結果よりも過程が大事」と主張するどんぐり倶楽部の主旨は、

私にとっては正に「我が意を得たり!」という気持ちでした。

それは、私が長年追い続けていた疑問、

「人は必ず死ぬのに、なぜ生きるのか」

に見事に答えを出してくれました。

そう、「結果よりも過程が大事」とは、

「人生の結果である『死』よりも、いかに生きたか、という過程が大事」

という考え方に見事に合致します。

 

マザーテレサも、

「大切なのは、どれだけ沢山のことをしたか、ではなく、

どれだけ心を込めたか、です」

という言葉を残しています。

「結果よりも過程が大事」という考え方は、人生に対する声援そのものです。

 

 

では、私たち親が子供たちにしてあげられる事は何でしょう。

それは、試行錯誤する経験、成功だとか、失敗だとか言われる沢山の経験を

させてあげることだと思います。

この経験の蓄積こそが、実は勉強においても、人生においても、一番大切です。

何かが上手くいかないときは、誰もが立ち止まって考えます。

それこそが『宝』。

失敗は成功の母、とはそういう意味だと思います。

 

『つつがない人生』でなかったから、色々と考え、工夫して生きていくことができた。

病気をしたことがあるから、病気をしている人の痛みがわかる。

挫折したことがあるから、挫折した人の苦しみもわかる。

つまり、優しさとは、苦労あっての優しさなのです。

 

「優しい子」「人の気持ちの分かる子」に育って欲しいのであれば、

苦労の経験が不可欠です。もちろん、苦労だけが大切なのではありません。

自分が楽しんだ経験があるから、人を楽しませたいと思えることもまた真理です。

 

◆本物の愛情◆

 

 

親は自然にいけば、子供よりも先に死にます。

そして、子供もいつかは社会に巣立っていきます。

そのときに、

「お前はもう、一人でも十分に生きていける。

人生を楽しむことを学んでいる。

だから、安心して歩いて行きなさい。」

と笑顔で送り出してやることが親としての最大の勤めであると私は思います。

 

そして、子供を社会に送り出した後は、

親は親でまた、自分の人生を輝かせるために日々を大切に生きていくこと。

親が「子供の役に立っている」という安心感を求めてはいけません。

それは結局自分のためにも、子供のためにもならないのです。

なぜなら、それは依存心であり、愛ではないからです。

愛とは不安の要素を含まないものです。

 

また、子育てに「結果」を求めてもいけません。

子供は投資信託や株ではありません。

いくら投資したから、いくら回収できるという計算は、

子供を愛するのではなく、自分しか愛していないのです。

 

「いくら掛ったと思っているの!」とか、

「誰が食わしてやっていると思っているんだ!」などという言葉は、

子供を惨めな気持ちにさせるだけです。

自己嫌悪はやる気を根っこから奪っていきます。

親に罰せられた後で、

「よし、今度からは自分の行いを改めよう!

これからは罰してくれる親を喜ばせたいから、

もっと自分に責任を持って、協力的に頑張ろう!」

等と、前向きに自分に言い聞かせる子供を、少なくとも私は見たことがありません。

 

子供の旅立ちの日のために、

私たち親は毎日、毎時間、毎分、毎秒、子供たちとどう接していくのか。

 

おそらく、今これを読んで下さっておられる方々は、

「愛情深い親になるためには、どうするか」

ということは十分に考えてこられたと思います。

今後はそれを考えることはもう止めて、

「今、私が十分に愛情深い親ならどうするのか」

と実践することが大切なのだと思います。

 

あるお母さんが、保護者懇談の席でこんなことを仰っておられました。

 

「私・・・、

子供に止めさせたいと思っていることを、自分が考えずにやっていました。

驚きました。

確かに、子供に騒がないで欲しいときに、自分は子供たちよりも大きな声を出していましたし、

ケンカをやめさせるために、子供を叩いたり、引っ張ったりしていました。

人に失礼なことを言ったときは、私が子供に無愛想に接していました。

子供が『バカ、アホ、死ね』などの使って欲しくない言葉を使ったとき、

私が『バカなことを言うな』とか、『アホなことをするな!』とか言っていました。

 

子供には『優しい人になってね』と常々言っているのに、

自分がそうじゃないことをしていたんですね。

まず、自分の言動を意識的に変えていきます。」

 

親の思い通りに子供をコントロールして、親の思い通りの結果を出させること。

それは、子供の幸せというよりも、親のエゴのようです。

 

しかし、子供が自分で考えて行動することができて、

その過程を楽しめるようになれば、

結果がどうあれ、それに執着することなく、日々を楽しく幸せに過ごすことができます。

 

子供たちは、両手を広げて待っています。

私たちの目の前にいる子供の笑顔を取り戻せるのは、誰でもない私たちです。

 

子供が生まれてきてくれた日。

そのときの気持ちが全てです。

 

「生まれてきてくれて、ありがとう。」

その気持ちは、私たちが生まれてきたときも同様に、

私たちにも与えられたものです。

 

そして、世界中の全ての子供たち、全ての人たち、全ての生命が

そのように生まれてきたとしたら、どうでしょうか。

 

「愛」とはそういうことだと、私は思います。







子ども達の解いたノート


   

   

   

   & nbsp;どんぐり個別指導学院 岡山市北区平田151-111 サンシャイン平田303 all right reserved
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